昭和49年06月11日 朝の御理解
御理解 第50節
「とかく、信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥え ておれば、肥をせんでもひとりでに物ができるようなものぞ。」
万物を見て道理に合う信心をせよと仰せられます。金光様の御信心がいかに自然に道理に合うた教えであり、そしてその教えを行じます時に、自然の働きをそのままに、おかげの上に現して行けれる信心だと言う事が分かります。御願いをしたからこういう御利益を受けたと。という御利益はどこまでも御利益です。けれどもとかく信心は地を肥やせと。地を肥やしておれば、一人でに物が出来るようなものという、そういう私はおかげを金光教的だとこう思うです。ね。しかもそのおかげは限りのない事です。
例えば田地田畑の道理を、ここでは説いておられる訳です。ね。たんぼはもう勿論耕したり草を取ったり肥料を施す。いわゆる手を掛けて。微に入り細さい1反なら1反の田んぼから、ね、まあ言うなら10俵なら10俵の今日の収穫を得て。もう限りなく、ね、去年は取れたから今年は取れないと言う様な事はない。毎年毎年微に入り細さい限りなく、穀物なら穀物が得られるように、信心もうそこまで行かなきゃいけんです。
あれは今年の出来。次はもう神様お願いしますと言うて、おかげを頂くおかげというものを、いわば私は今日は、御利益という風に聞いて頂いておる。で金光教で言うおかげというものは、ね、一反なら一反ならその人、その人によって違いましょう。一丁も二丁もと言った様なと言う様な、ね、一反から例えば一丁の田んぼを持っておれば百俵ね、こんなに私、上手になったん信心があるだろうかと思います。
どこまでも人間は万物の霊長とまで言われる位ですから、その万物を見て道理に合う信心を頂かなければならない、させて頂けよと言う事なんです。道理に合う信心。万物を見ておりますとね、いわゆる観察をしておりますとです。もう全ての天地の働きと言うか。ね、その働きを見せて頂いておりますと、成程そういうバランスのものだなと分からせて貰い、そこから道理を愈々分からせてもろうて、道理に合うた生き方をすると。
道理に合わん生き方をするから、おかげにならん。ね。神様が願いとされる所の、おかげのそういう限りないおかげに繋がらせて貰う、おかげを人間氏子が頂いて行く道を、神恩奉謝の生活が出けると言う事が、天地金乃神様の氏子に対する願い。ですから私共の願いも矢張りまた、その願いの根本がそこに置かれなければならん。神の願いと私共の願いというものが、一つに繋がらなければ、金光教的おかげと言う事にならん。
ただお願いをしておかげを受けると言う事。言うなら御用しておかげと言う事だけではなくて。そこからお互い信心は、まっをするものですけれども。ね、言うなら人間万物の霊長としての自覚も出け、万物の霊長として天地の道理もわきまえ、道理に従うた生き方をさせて頂き。そこからです愈々心は広がり心は豊かになって、いわゆる先日から頂きますように、真善美のあるおかげと言う事になって来る。
真と言う事は真。善と言う事はいわゆる善悪の善、善悪の善でした美は麗しい美しいと言う事。そういうおかげの理想郷というものを、私共は願わせて頂く事でございますから、ね。真は真なりですかね。ね、その真の反対は嘘と言う事になる。嘘と真と言う事になりますが、いわゆる真の人になる事を目指しての真の生き方という。嘘の生き方から真の生き方へならせて頂いておる所に信心がある。
それには善の生き方。善の反対は悪というから善悪と。ね、悪の生活から又は善の生活に入って。この善の生活というのが非常に難しい。まあ仏教的に善と言う事を申しますと、( )とか、( )情と言う事を申しますですね。清浄仏教というのは、あられぬ修行をして、いわゆる御利益を目掛けて言った様な感じの、仏教を清浄仏教という風に申しますね。
親鸞なんかが説かれた仏教はたいじょう仏教だと、こういう訳です。ですからね私共がね、善と思うておる事が、悪の場合があるし悪と思っておる事が善の場合があるのです。だから、この善の切り替えというのは非常に、信心を進めて行かなければ分からんです。例えて申しますとね、物乞いが言うなら乞食がおる、乞食に物を施す。ね、これはいかにも善の様にも見えますね。深刻には言いよりません。
けそれでもたいじょう的な見地から行きますと、それは悪になるんです。ね、何故かと言うと、いかにもなら自分が恵んでやったという気が致しますけれども、問題はその物乞いそのものが助からなければいけんのです。親切だけあってなら物を与えると致します。その、なら乞食が貰う事、それこそ乞食を三日すりゃ止められんちゅう様な根性を、乞食根性が愈々強うなる事を援助する様なもんですうだとからね悪だという。金光教の信心はどこまでもそこん所はね。
兼ね合いと言うかそこの所を分かって行かにゃいかんです。やっちゃならないと言う事じゃないです。( )以前と言う事について申しますとそうなんです。悪の様に見えておりますけど事が、言うならば善なのですもあります。善のように見えておりますけれども、それは暖かい神心と言う事にもなります。ただそこにまっ信心の言うならば極めて行かなければならない所がある訳ですね。場合に応じちゃ、本当に悪と言われる場合もあります。
またはそういう時には、言うなら( )で、言うたり行ったりしておる所に自然があります。ね。まあ自然と言う事は、そうい意味で私共は言うなら、悪の生活から善の生活に移っていくと言う事。それもたいじょう的な見地からの、善であり悪であるという事。美これは麗しい美。先日この御理解を頂いた明くる日に、四日の神愛会であった。先生方、皆お話をしておる時に若先生が話しておりました。昨日の御理解を頂いて、改めなければならないと言う事を、芯から感じたとこう言うておる。
自分でロクソナイ事を知ってる訳です。もうあなたの部屋へ行くと、本当に散らかしておる。でそれはもう怒りを自分の事の様に思うたと。ね。だから本当にガタガタ言う事はいらんのですけれども神様の方が。ね。これは、いわゆるロクソな生活から、ね、いわゆる皆にとっての、いわば質素な部屋なら部屋でも、誰が来ても、とてもきれいな、感じの良いのと言った様な、言うなら美的感覚というものを、もっともっと磨いて行かなければいかないと言う事を感じたと言っています。
それは例えばなら、この頃な仏教的に言うその、真善美のあの世界を極楽の世界といわば。その極楽にです見苦しい物やら汚い物やら。ね。もうこう投げやりににしておると言う様な事があろう筈がない。極楽の世界と言うのは、それこそ咲きの花の咲き乱れた、どっから流れてくるか分からない妙なる音楽。ね。どこから嵌っておるか分からないほどの、言うならば香豊かな世界を極楽と言う。
だから極楽にどうでもお互いが住みたいと思うなら、美的観念というものがどうしても必要です。女の方は愈々綺麗にならなきゃいけない。男も同じです所謂私そういう意味においてのおしゃれは素晴らしい事だと思うんです。そういう言うならば信心での足ろうた生活を目指さして貰いと言う事です。ね、私はまあ通る所を通って愈々難儀困拍。もうこれ以上の貧乏はなかろうと思われるような、あの貧乏な生活をしておる時分です。言うなら、本気での修行が出けておる。
それでも矢張り御本部の月参りだけは欠かした事はなかった。親先生のお供をしてお参りをする。その月親先生が何かの都合でお参りが出けなかった。私もお参りは出けなかったんですけれども、丁度久留米地区の(不知火)の先生方がお参りを話し合ってなさる。私も出来たら一緒にお参りをしてもらおうと思うて、当時福岡におりましたから帰った。帰ったら、もうその頃は商売は致しておりませんでしたけれども、もう神ながらなお繰り合わせを頂いた。
まあ旅費旅費だけは得られたという風で、誰だったでしょうかね。千円じゃったか、五百円じゃったか。当時の旅費はそれで博多駅に、それこそその御代だけありますから、乗った。丁度久留米の方から来る汽車に、それと一緒に同乗させて頂いてお参りをさせて頂いた。私は必ず御本部参拝をする時に、家族中の者のお届け、御初穂をさせてもらうけれども、その時そげなふうでしたから、やっとかっと旅費があるだけ。ね。
だから自分だけの名前を書かして頂いて自分だけの御初穂をお届けさせてもろうて、準急行券が百円じゃった。だから、その百円だけが取ってある。勿論私は御本部参拝をさせて頂く時に、途中で何か買わんならんとか、弁当食べんならんてな事考えた事がなかったです。もう本当にそうでした。もうそげな事なんか、もうそげな事なんか考えた事なかった。ね、ただ帰りの準急行券の百円が取ってあるだけであった。二度目か三度目かのお礼をお届をさせて頂いて、お広前に出らせて貰いました。
そん時それ胸知らせと、当時まだお知らせ頂かない時ですから。胸知らせと言うのでしょうか心の上にもうそれこそ、それに実行しなければおられない強い思いが湧いて来た。というのはね、お前はもうこの世で一番大切なものは両親だ、親だと言いながら、ね、この度は親の御初穂も奉られなかったじゃないかと言う様な、事が心に響いて来るんです。しかもしきりに響いて来ますから、ほんに今度の御本部参拝には、神様もこういう状態じゃない事は御承知の事だからと思うて。
自分だけの御初穂で、両親の御初穂はしてなかったが、本当に御初穂も奉らずすまなかったと思わせて頂きながら、はあこれはその準急で帰らずに、普通で帰ったらこの百円お供え出来るなと思った。だから私はその久留米の先生方の帰られるのを駅まで見送って、それから私だけ一人残って、次のまあ次の普通列車で私だけ帰らせて頂く事に腹を決めた。それで先生方も私がそういう状態である事を知っておられますから、大坪さん乗りなさいどげんかなるがち言うて頂いたけれども。
もう心に決めておりますから、先生方を送ってそれからまたその、御広前に出らせてもろうて、残っておる百円を両親の名前でお供えをさせて頂いた。もう私は初めて金光様のお書き下げという物を、この時が初めてでした。それは小さい小さい字でしたけれども。それは、また大水の時に流れましたけども、それだけはピタッと箱に引っ付いてから残ってる、真っ赤になって。
御神米お書き下げ御神米が中に四体入っとった。この4回て何てん。大体二体で良かつに、四体下がってきて四体っちゃ数の悪い、私な思いそうにゃ思っていた時ですけれども、金光様の先生方がね、このお取次ぎを頂いて御神米を四体下げて頂くと言う事が、一番の理想だそうです。私はその後に言われて聞きました。だからそういう最高のおかげを頂いとったと言う事が分かるですね。もうとにかく有り難いんですよ。初めて金光様のお書き下げを頂いた。しかも信者の身で。
もうそれは本当に感激してそのまま、あの御霊地の奥城に登らせて貰いました。教祖様の御祈念を終わってから、二代金光様四神様の所へ御挨拶をさせて頂きました。四神様の奥城に座らせて頂いて、柏手して頭を下げた途端でした。もう額にもう大変な一つのこれでもかと言う様な、もう私の頭が前に出ずににガツッとこう、当たると言った様な感じで、あの何かそういう衝動を感じたんです。どう言う事か分からなかった。そして初めてこれが神様のお声というのを頂いた。
もうそれこそもう鼓膜の破れるような大きな声で、四神という声を頂いた。四神様の四神、二代金光様の。私は御祈念を終えてからから、辺りを見ましたら誰か居るじゃろうかと。そしたら誰も私一人御祈念しとるんです。そして改めてまたお礼をさせて頂いたら、四神様がずうっとそのお話かけて下さったんです。ですからこの晴天霹靂と言やこういう事でしょうね。とにかく神の声を聞くとか、神様のそのとてもそれは昔の先生方のお徳を受けた先生方の話は聞いとったけど。
とても私共の信心じゃ出ける、頂ける筈はないと思うておったけんで。私ねそれっから、もう本当にもうそれこそ道を歩いておろうが、便所の中であろうが電車の中であろうが、神様がもう囁き続けでした。もうこげな風だったら、私はもう気がふれると思うた。それから、その四神様の言うなら御修行が始りました。ね。そのときに頂きましたように、もう大変なそれから、もうそれこそ大変な修行でした。けれどもねあのほんとあの四神様がさせて下さる修行を、三本鍬と教えて下さったですね。
もう耕されるというか一生懸命、もうだからもうきついばっかり。言うなら荒地荒屋敷のところを耕しよるばかりです。次に、ね、教祖様の御信心。それが平鍬という風に。どのくらい続いたか、四神様の修行がずいぶん長い事に感じましたけれども、段々少し言うならば修行も柔らかになってきた。四神様が耕して下さるそれを今度は教祖様が平鍬で、こうやって成りをを合わせて下さったりね、畝作りをして下さったり。
私の教師拝命というのは、三代金光様のお言葉一つで、いわば20年近くも人がどんどん助かるにも関わらず、教会の認可を得られなかった。けれども三代金光様がその人としての、教師としておかげを頂いたらけっこうですと言う事を頂いて。言うならば教祖二代、そして三代金光様の、あのもう人の世にまたとあろうとも思われないほどしの御修行を下さった三代様の御信心を頂いて。
その三代様が私にお道の教師としておかげを頂く事を願われ。ある時には三代金光様が御夢の中に、下に下がって私に手をついて頼むと言わんばかりの御様子を頂いた時などは、もうそれは大変もう感激した事で御座いますけれども。そう言う事があったからこそ十何年間も、もうわざわざ金光教じゃなくても良いじゃないですかと。新しい信仰宗教いわば金光教分光教でもいい。ただ当時神愛会と言うておったから、神愛会でも良いと言うて、御信者さんの大半がそう言うて下さる時代もあったけれども。
私の心は固かった。矢張り金光教という、ね、教祖様を頂いての金光教の信心に帰依しなければならなかった。それをそういう風にして下さったのは、三代金光様です。ね。いわゆる三代金光様の御信心を、いわば三代様が開催して下さった。それが生神金光大神のいわば完成修行完成という風に私は頂きました。教祖様の御信心にいわば四神様の二年間ではあったけれども、あの激しい御修行いわば荒行をなさって、そしてまだ御年わずか十三歳という三代金光様にお譲りになった。
七十年という間お取次ぎの座で生神金光大神の御神格というものを、もう乗じした上にも乗じなさったのが三代金光様。その金光様のお声に、お言葉通りにいわば私は教師になった訳です。ね、四神様がそれこそ荒地荒屋敷を耕される時には、もうおかげ何もないただもう、それは修行するばっかり。ね。ただ間違いなかった事は、ね、一日一日一椀のお粥は許されたけれども、ね、また御本部参拝でもするという時には、それこそ不思議に旅費だけはお繰り合わせ頂いたけれども。
もう他の事の、その時分にもうとにかく、あれを食べようとか、あれを着ようとかというような思いというものは、もうさらさら伏せておった。それはどうしてそう言う事が出けたかと言うとね、神様を信じておったから出けたんです。私はね信心生活というのは、神様を信じての生活だと思うですね。もう私は神様は分からんけん、親先生を信じとりますて言うておられますけれども、親先生の信心を通してです、矢張り神様のいわゆる神様の深慮の力がいよいよ強うなって行く、おかげを頂く。ね。
そこに言うならば神恩に答えまつるという心も生まれて参りましょうし、日々が感謝の生活が出けて、初めて真善美の修行が出けるのです。神様を信ずるから出けるのです。ね。昨日一昨日頂きました御教えの中に、神様の心はどこまで広いか、深いか分からんと分かった時が、神様が分かった時だと。この神様は、とても私共の人知人力で計り知れるものじゃありません。だから、例えば信心させて頂きよってもです、降る事もありゃ、照る事もあろう。また、( )けれども。
信心しよってどうして降るじゃろかと言う様な事の事はない。信心しよってあげな災難に遭うてとにかく、もう深い広い御神慮のあっての事なのですから、その事も神愛その事も御都合、その事もおかげとして頂いて行くと言う事は、神様を信ずるから出けるのです。ね。とかく信心は地を肥やせ。只私しが申して来た事はです。いかにして耕しいかにして、いわば肥やして来たかと言う事を、大体聞いて頂いたので御座います。ね。教祖様、教祖様の御信心。
平鍬で綺麗に成りを合わせて下さる。その頃はもう、それこそ暑いもなからなければ、寒いもない。ただ人が助かる事さえ出ければ。もうどこにどんな病人があると言や、もうそこまで言うなら夏の炎天であろうが、ね、雪の中であろうがもうそれこそ三五里の道のりが遠いと思ったことがなかった。勿論乗り物はなかったから、その時分歩いてでした。そして、お話をしてまわった。それがです言うならば荒地が耕された。
教祖様の信心によってなり合わせられた。そこへ、私は喜びの種を何時でもとる様な蒔いて回った。ね、そこに天地の親神様の御用と言うかね。言うならば神恩の頂かしてもろうて、それが目をきりだした。ね、そして伸びだした。花が咲いた。そして実りが実りだした。それが現在の合楽です。ね。成程一人でにものが出けるからと言うて、ね、成程田んぼの中に年々再々、ならお米ならお米が麦なら麦が取れるといたしましても、ただそれだけではいけない。一年に収穫をしたならば。
また耕させてもろうて、また肥料を施してそして又種を蒔いて。そしてその田んぼから年々再々、限りなくおかげの頂けれると言う事だけはなさらなければなりません。これは当然の事、当然の理です。ね。とかく信心は地を肥やせ、常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば肥えをせんでもひとりでに物が出来るようなものぞという御教えです。今日は私の信心それから、最近私が頂いておる感じておる所を。それをとり混ぜて聞いて頂いて、今日の御理解の内容として聞いて頂きましたのですね。